本日は広島に原爆が投下された日です。原爆の殺傷力がこれまでの兵器より尋常でないことが分かりながら、何故3日後に長崎にも投下したのか。亡くなられた方々にはご冥福をお祈りするほかありません。原爆は使用してはいけないとDNAに刻み付けなければなりません。
さて、昨日(2023年8月5日)は5名の新入門者と絆を結ぶため入門式を開催しました。ご家族の参列もいただきました。
入門式で私がお話しした内容です。ご意見をお聞かせください。
「入門式の目的は、入門者が修行の心構えや決意を確認し、自分自身に誓うためです。あわせて、私たちは入門者を同士として歓迎し、絆を結ぶためです。
少林寺拳法は、今から76年前、終戦から2年後の1947年に開祖「宗道臣」先生が香川県多度津町で創始されました。創始の動機は、開祖の戦争体験が元になっております。その悲惨な体験の中で自分を犠牲にしてまで人を守ろうとする者がいれば、反対に人を犠牲にしてまで自分の身を守ろうとする人など悲喜こもごもの人間模様をご覧になり、「人、人、人、すべては人の質にある」ということを悟られました。
開祖は、戦後の食糧や物資が乏しく心も荒んでいた姿をみて、これでは日本がダメになってしまうという危機感を持たれ、何としても復興を成し遂げたい。そのためにはどうすればよいのかと悩まれました。出した結論は、自信と勇気と日本人としての誇り、そして正義感と慈悲心と行動力のある青少年を一人でも多く育てる以外にない。「人づくりによる国づくり」を目指されました。
たった一人による志から出発しております。開祖は生前によく言われておりました。「私一人の志でこれだけのことができた。私にできたのだから君たちにできないはずはない。」と、いつも私たちを励まされておりました。
創始された翌年の1948年に「黄卍教団」という宗教団体を設立されました。現在の「金剛禅総本山少林寺」です。金剛禅と名乗っているように禅宗に位置付けられます。禅宗としては臨済宗、曹洞宗、黄檗宗等がありますが、金剛禅総本山少林寺は単立の独立した教団です。
開祖はなぜ禅宗を取り入れたのかといえば、人間の生き方を説くものでは、「釈尊の正しい教え」のほかにはない。そして、修行の方法は、達磨さんの行法を取り入れました。
達磨さんはインドの僧侶で、今から1500年程前、当時の中国は「三国志」で有名な魏・呉・蜀が覇権を争っていました。そのあとの南北朝の時代です。南北朝の後は遣隋使で皆さんご承知の隋と続きます。因みに日本は聖徳太子が活躍された飛鳥時代の前の古墳時代にあたります。
達磨さんは面壁九年や七転び八起きで有名ですが、中国では釈尊の教えが正しく伝わっていないということを聞き、インドからはるばる中国に渡った僧です。嵩山少林寺に滞在し、禅宗を開創され、多いときには千人を超える僧がそこで修行していたといわれています。
開祖は、その嵩山少林寺にある白衣殿の壁画をご覧になったときに、「これだ」とピンとくるものがありました。道衣を着た何人もの白い肌の人と浅黒い肌の人が、楽しそうに演練している様子が描かれていました。いま私たちが行っている「易筋行」として取り入れています。
「座禅」は、釈尊が菩提樹の下で瞑想して悟りを開いたとされる、その姿を達磨さんが取り入れられました。深く瞑想し、自己を見つめ、自己の中にある無限の可能性を見出そうとします。開祖も修行方法としてこれを導入されました。釈尊、達磨大師、開祖のつながりが、これで少しは理解できたのではないかと思います。
金剛禅の願いは、平和で豊かな世界を作ろうというものです。また、天国や極楽はあの世で求めるのではなく、この世に作り出すべきものと考えています。
そのためにも「半ばは己の幸せを 半ばは人の幸せを」考えて行動できる人が増えることが必要です。今、少林寺拳法は世界40か国に広まっています。この考え方をする人が世界に広まれば世界の平和につながると考えています。私たちと共に頑張りましょう。